競輪選手の太田海也(おおた かいや)さん。
太田海也さんが日本大学を中退した理由は何なのでしょうか?
そして高校はどこなのでしょうか?
さらに太田海也さんの出身中学校や出身小学校はどこなのかも調査します。
今回は「太田海也が日本大学を中退した理由は?高校や出身中学も調査!」についてご紹介します。
太田海也が日本大学を中退した理由は?
太田海也さんは日本大学を中退したのですが、その理由は何なのでしょうか?
いろいろ調査したところ、太田海也さんは高校から始めたボート競技を辞めたので日本大学も中退したのだそうです。
それは大学1年生の時で、11月ごろだったそう。
太田海也さんが日本大学に入学して、わずか7ヶ月ほどですね。
日本大学はボート競技の推薦で入学したので、部活を辞めると決めたので大学も辞めたのでしょう。
太田海也さんがオリンピックまで目指していたボート競技を辞めたのは、「世界との壁を感じて」辞めたのだとか。
「自分の実力では日本を超えることができないんじゃないか」と常に感じていて……世界と戦うことを目指しているのに、日本国内でも負けることが多くて、燃え尽きたような感覚があったんです。「こんなに練習してこの成果じゃあ、これ以上は望めない」と。
それから、大学のボートのシステムに馴染めなかったのも大きかったです。「この19歳、20歳をもっと濃く過ごしたい、今のままでいいのか」という想いが強かったです。別にそれはスポーツである必要もなかったのですが「今動かないと将来後悔する」と思って……自分勝手ではありますが大学を辞めました。
引用:more cadence インタビュー
自分がこれ以上成長できないと感じてしまったのでしょうか。
いろいろな成績を残していましたが、ボート選手として世界を目指すには太田海也さんの身長は低いのだそう。
そういった事もあったのかもしれませんね。
別のインタビューでも「完全燃焼して、ボートへの熱が冷めてきて、中退するというかたちに。」と話していました。
ボートに関してはやり切って燃え尽きてしまったというのもあったのでしょうね。
本当に身勝手な行動で、たくさんの大人の方にご迷惑をおかけしてしまいました。後々頭を下げて回りました。
引用:more cadence インタビュー
ボートの推薦で日本大学に入学したので、いろいろなところに謝罪にいったのですね。
太田海也さんは将来を期待されていたし、周りからは勿体ないと思われたでしょう。
日本大学はボート競技の強豪校
太田海也さんは日本大学を中退しましたが、進学した日本大学についてご紹介します。
日本大学は東京都千代田区にある私立大学です。
学部は16ほどもあるマンモス大学で、ひとつの大学として学生数や総資産などでは日本最大規模の大学です。
太田海也さんの通っていた学部は調査しましたが、分かりませんでした。
日本大学は大学のボート競技の強豪と言われているので、オリンピックを目指していた太田海也さんは推薦で入学しました。
ですが、先ほどもご紹介したとおり、太田海也さんは大学1年生で中退しているため卒業はしていません。
太田海也の高校はどこ?
太田海也さんの高校はどこなのでしょうか?
いろいろ調査したところ、太田海也さんの高校は備前緑陽高校です。
備前緑陽高校は、岡山県備前市にある公立高校です。
普通科だけでなく商業科、工業科などがあり、偏差値は43です。
さらに専門系列に分かれており、幅広い講座が学べるよう。
備前緑陽高校は部活動への積極的な加入を促しているそうで、いろいろな部活動があります。
太田海也さんは備前緑陽高校では、ボート部に所属していました。
高校からボート競技を始める
太田海也さんは、高校から漕艇いわゆるボート競技を始めました。
高校に入ったら「その高校で一番有名な部に入りたい」という気持ちと「サッカーを続けたい」という気持ちの両方があって、悩んだ結果その高校で名物の部活、ボート部を選びました。ボートなら自分の体でもできるんじゃないかな、と思ったこともあります。
引用:more cadence インタビュー
中学校の時にやっていたサッカーと悩んでボートにしたのですね。
太田海也さんは密着取材でも「ボートなら人に負けない気がして始めた」と話していました。
高校から始めたボート競技ですが、持ち前の運動神経でメキメキと才能を開花させます。
太田海也さんが高校3年生の時にはインターハイダブルスカルで優勝。
さらに、全国高等学校選抜ボート大会シングルスカル準優勝、国民体育大会ボート競技クオドルプル準優勝と素晴らしい成績を残しています。
太田海也さんは将来を期待された選手にまでなったのですね!
始めて数年で優勝や準優勝だなんてすごいですよね。
太田海也さんはもともと飽き性のようですが、ボートをやったことにより変わったことがあるそう。
もともと様々なスポーツをしていたのですが、1つのことを続けられず、少し成績が出たらやめてしまうような子供でした。でも高校の時のボートの先生が熱血教師で、人生で初めて本気で部活に取り組めたんです。『何でそうなるの?』と疑問形で聞いてきてくれて、自分で考えさせられることが多かったのですが、その分悩む時間も多くて……
結果的に競技を通して自分と向き合うことが多くなり『なんで緊張するんだろう』とか『なんで勝ちたいって思うんだろう』と、自分をどんどん掘り下げていくようになったのが高校1,2年の時でした。それが本当に良い経験でした。
それまで自分と向き合ったことが無かったからこそ、ボート競技を始めたからこそ、自分を客観的に見られるようになりました。
引用:more cadence インタビュー
ボートをやったことにより、自分と向き合うようになったのですね。
自分を客観的に見られるって難しいですが、大事なことですよね。
ボートは残念ながらやめてしまいましたが、高校の頃に得たものは今の競輪選手でも活かされているそうです。
高校の時の恩師も今の太田海也さんの活躍を喜んでくれているでしょうね。
太田海也の出身中学校はどこ?
太田海也さんの出身中学校はどこなのでしょうか?
いろいろ調査したところ、太田海也さんは中山中学校の出身の可能性が高いです。
太田海也さん本人は出身中学校を公表していません。
ですが、後ほどご紹介しますが出身小学校が分かったため、主な進学先である中山中学校なのではないかと思います。
太田海也さんの出身中学校が中山中学校だと仮定して、中学校についてご紹介します。
中山中学校は岡山県岡山市にある公立中学校です。
1947年からある、伝統のある中学校です。
太田海也さんが中学校に通っていた時代は『中山祭』という体育祭と文化祭を運動場と室内と2日間に分けて行うものをやっていたようです。
お祭りのようで盛り上がって楽しそうですよね。
中学校ではレスリングとサッカー部に所属
太田海也さんは中学校ではレスリングとサッカーをしていたそう。
中学に上がってからは、レスリングと並行してサッカー部に入りました。レスリングは中2で辞めて、そこからはサッカー1本にしましたが、それも3年生で一旦終わりにしました。
引用:more cadence インタビュー
小学生の時からやっていたレスリングも続けながらサッカーもしていたのですね。
全く違うイメージのスポーツを二刀流でしていたなんて、すごいです!
サッカーは下半身が重いと駄目だそうで、周りから評価をされたことはないと太田海也さんは話していました。
自慢できるような成績は無いです。でも中学から始めたのは僕だけ、という環境の中で、中2の終わりからレギュラーになれたのが唯一の自慢です。
引用:more cadence インタビュー
周りから評価されたことがないと言っても、レギュラーになっていたなんてすごいですよね!
サッカーといえば人気のスポーツなので幼少期から始める人も多いでしょう。
その中で中学校から始めた太田海也さんが、レギュラーになれたのは自慢だったのというのは分かりますね。
やはり太田海也さんはスポーツの才能がありますよね。
出身中学校について調査したら、太田海也さんはスポーツの才能がずば抜けているということが分かりました。
太田海也の出身小学校はどこ?
太田海也さんの出身小学校はどこなのでしょうか?
いろいろ調査したところ、太田海也さんは桃丘小学校出身です。
太田海也さん本人が出身小学校の名前を出したことはないようですが、桃丘小学校のホームページに記載されていましたので間違いないと思います。
桃丘小学校は岡山県岡山市にある岡山市立桃丘小学校のことです。
住宅団地が出来たことにより1990年に2校の対象地域から統合してできた小学校だそうです。
これまで大学、高校、中学と太田海也さんの学歴について見ていきました。
太田海也さんはどんな時も必ずスポーツをやっていましたが、小学校ではどうだったのでしょうか?
小学校でもいろいろなスポーツ部に所属
太田海也さんは小学校の時もいろいろなスポーツをしていました。
幼少期は体操からスタートしました。小学1年生くらいで辞めたのですが、次に同じ敷地内でやっているレスリングを始めました。しばらくはレスリングだけをやっていて、その後はタグラグビー……ラグビーをする子たちが小学生の頃やるようなもの、を始めて、何年かレスリングとタグラグビーを掛け持ちしていました。
引用:more cadence インタビュー
小学生の時にもスポーツを掛け持ちしてやっていたのですね。
いろいろなスポーツをこんなにもやっている人は、なかなか珍しいと思います。
太田海也さんの両親がいろいろな習い事をやらせたいという考えでやっていたのかと思ったのですが、違うのだそう。
両親的には「習い事はできるだけしないでほしい」と思われていたのだとか。
全てのスポーツを太田海也さん自身がやりたいと思って始めたのだそうです。
月謝がなかったり、少なかったりするもの。それから親が車を出してくれなかったので(笑)その中で自分が興味のあるものを選んでいました。
引用:more cadence インタビュー
子供ながらに考えて出来る範囲のスポーツをやっていたのですね。
しかも家族は「体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家」だと太田海也さんが話していました。
こんなにもスポーツをしているから、太田海也さんはスポーツ一家かと思ったのでとても意外でした。
いろいろなスポーツをやっていたのは、どれも自分に合うと思えなかったからだそう。
幼い頃からいろんなことをやっていたのですが、自分に合う競技とは出会えていませんでした。自分が幼かったからとか、気持ちが甘かったということもあるんですが、「仕事にしたい」と思うまでのスポーツはありませんでした。
引用:more cadence インタビュー
幼少期から大学生まで、いろいろなスポーツをやってきた太田海也さん。
はたから見るとスポーツ万能で才能も有り、どのスポーツも向いているように思ってしまいます。
ですが、職業にしたいという熱意を感じられるものになかなか出会えなかったのですね。
競輪というスポーツに出会って職業にしているので、やっとこれだ!というスポーツに太田海也さんは出会ったのでしょう。
まとめ:太田海也が日本大学を中退した理由は?高校や出身中学も調査!
太田海也さんが日本大学を中退した理由は、高校から始めたボート競技を辞めたので日本大学も中退したのだそうです。
ボート競技を辞めたのは「世界との壁を感じて」なのだとか。
太田海也さんの高校はどこ?については、備前緑陽高校だということが分かりました。
太田海也さんの出身中学校はどこ?については、公表していないので分かりません。
ですが、出身小学校が判明したので、そこからの主な進学先の中山中学校の可能性が高いと思います。
太田海也さんの出身小学校はどこ?については、桃丘小学校出身だと分かりました。
本人は公表していないのですが、小学校のホームページに出身と記載されていました。
飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍中の太田海也さん。
これからの活躍も楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。